皆さんはご存じないかも知れないが、その昔、牛乳もジュースもビールもカルピスもマヨネーズもジャムもみ〜んな瓶詰めで売られていた。
そして中身を消費した後の空き瓶は牛乳屋や酒屋が引き取り、消毒されリユースされてきた。 マヨネーズの瓶はたいてい子供が宝物か何かを入れる容器になったし、ジャムの容器は台所でなにかしらの余生を送っていた。 時は下り、ある日給食の牛乳がテトラパックに変わった。 使い捨て時代の幕開けであった。 これも記憶している方は少ないかと思うが、見事な空間充填立体であることと、展開図も見事に平面充填図形になっていることに驚いた。 いや、それより先に給食当番の運搬の労力が減ったことを喜んだかな。。 そして今、コンビニでは瓶入りの商品を探すほうが難しい。 ワインなど一部の酒類、化粧品の一部くらいだろうか。 流通過程での破損、運搬コストなどを考慮すると軽くて丈夫なペットボトルや紙パックの方が圧倒的にコストダウンが期待できるからであろう。 リサイクルという言葉が浸透して久しい。 しかしペットボトルやアルミ缶、使い捨てカメラなど、たった一回しか使用してない、まだまだその形のままで十分使えるモノを化石エネルギーを使用してわざわざもう一度原料にまで分解し、作りかえる必要があるのだろうか。 例えば昔の牛乳瓶のようにリサイクルではなくリユースの方が、所謂エコ的には納得できる。 もちろん洗浄や運搬のコストを差し引いての話ではあるが。 先日テレビで温暖化とかを話し合う懇談会かなにかの映像が流れていたが、国会議員の前には弁当とペットボトルのお茶が配られていた。 ペットボトルをリサイクルしましょうと言う前に、急須でお茶を淹れんかい。 リサイクル問題より人件費や「お茶くみ」差別の問題のウエイトが重いのであろうか。 ペットボトルの利便性は十分分かっているし、私もありがたく享受はしているが、家族ででかける行楽の時くらい、自宅で湧かしたお茶を魔法瓶に詰めて持って行ってもバチは当たらんのではないだろうか。
by yabureisha
| 2008-06-02 15:54
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