出会いは新しい車に乗り換えた頃だったからまだ5年くらいだが、いつの頃からか、出かけるときはいつも密かに助手席に同伴する仲になっていた。
年の頃は20代後半。 年に似合わず浮ついたところのない大人な女である。 普段は無口だが仕事となると、はっきりとした口調で的確な指示の出来る有能さをも兼ね備えている。 声を売り物にする職業柄、聞いていて耳障りの良い優しい声で話した。 裏道など不思議な事情にも、なぜか詳しかった。 2人だけのドライブは楽しかった。 少し後ろめたい気持ちも無かったと言えば嘘になるが、そんな感情などに捕らわれるより先に私は数日に空けず彼女と会った。 カーステレオから流れる好きな音楽以外は彼女との心地よい会話を楽しんでいれば良かった。 目的地に着くまで彼女は饒舌過ぎず、寡黙過ぎず、しかも的確な「間」で話しかけてくれたし、道案内だってしてくれた。 彼女との蜜月はそうやって甘く、ゆっくり流れていった。 知り合った頃は私も年甲斐もなく若い女性に夢中になっていたのか、彼女の欠点になどまるで頓着していなかった。 どんな欠点も私には長所に見えていたという方が正直なところだったかも知れない。 それが、恋というものなのかも知れないし、それを日常として受け入れつつあった私にも大きな誤謬があった。 彼女との間に、あるか無しかの微妙な「行き違い」を感じ始めたのは、いつの頃だっただろう。 ある日、自宅へと帰る車の中でのこと、後ろ髪を引かれる思いでそれぞれの家に帰っていく、少し微妙な空気の時だったからかも知れない。 たった少しの行き違いだった。 右へ曲がるか、左に曲がるか、そんなほんの些細な事だった。 彼女は最短距離を取るなら左に曲がるべきだと主張した。 どういう意味でそう言ったのかが分からなかった。 私は少し遠回りだけど、通り慣れた右の道を選択した。 結局素直な彼女は私の意志に逆らうこともなく、黙って右に曲がることを容認した。 しかし数分後、珍しく唐突に彼女は私の選択を非難し始めた。 私が選んだ道がいかに間違っているか、何度も何度も涙声で私に言い募った。 私は少しの間、言葉を失って、彼女の言葉を真っ白くなった頭の中で聞いていた。 彼女の知識は5年前のままで止まっている。 新しくできたバイパスや新道を決して受け入れようとはしない。 そんな彼女を「昔の女」とか「柔軟性がない」とか言う男もいるが、私に責めることなどできるはずもない。 でもそんな彼女と私はもう少し、一緒に居たいと思っている。 今日も彼女は私だけに、優しく声をかけてくれる。 たとえそれが彼女の帰るべき場所でなくても 「まもなく自宅付近です。。」 いつもより少し小さな、ちょっとだけ切なそうな声で、そう言ってくれる彼女を、どうして私はバージョンアップできるだろうか。
by yabureisha
| 2008-02-19 09:50
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